2009年4月 9日 (木)

■セラピストになるまで ⑨「学ぶことは絶対にやめない」

393 たくさんの素晴らしい出逢いに恵まれたお陰で現在の自分があることを、とても感謝しています。

IMSIでの講師活動と、併設サロンThe Instituteでのセラピスト活動、そして、美容クリニックやスパ施設でのセラピストやスタッフ教育なども担当させて頂きました。

病院や地域社会のセミナー、企業主催の講演会やイベント、美容師研修の講師なども経験させて頂きました。

でも、どんなに忙しくても、「学ぶこと」は絶対にやめませんでした。

もっとひとの心と身体と精神に深く関わりたいと思い、臼井式レイキを学び、そしてエサレンボディワークの門を叩きました。

Dsc_33632005年には、1ヶ月間のバリ島のトレーニングに参加し、エサレンボディワークプラクティショナーとなりました。

本場カリフォルニアのエサレン インスティテュートにもこれまでに4回訪れ、ボディワークのアドバンスコースやヒーリングのコースに参加しました。

また、2008年には再度バリ島の1ヶ月コースに今度はスタッフとして参加し、通訳と実技指導を担当させて頂きました。

現在ボディワーク科でご紹介しているタッチセラピーの基礎、ロングストロークストレッチ、関節のムーブメントなどは、エサレンボディワークで培った技術に、日本のサロンやスパで必要とされる技術を加え、独自にアレンジしたのです。

345そして、2005年にデンマークの先生からフェイシャルを学んだことから、世界的に有名なベトナムの顔のリフレクソロジー「ディエンチャン」を知り、2008年より創始者のドクターチャウと交流をはじめました。

現在はこの「ディエンチャン」とベトナムの伝統療法を勉強中です(目標は2009年中に基礎コース修了!)。

ベトナムで出逢った民間療法、イギリスでガブリエルモージェイに教わったアロマセラピー、ロネのフェイシャルリフレクソロジー、そしてディエンチャンのどれにも、その根底に「東洋医学」があり、以前より「本格的に東洋医学を学びたい」と思っておりました。

また、私は「海外」に縁のある人間ですから、、「将来は、海外で東洋の自然療法を教えることになるかもしれない・・・」なんて勝手に予感しているのです(笑)。

それで、この4月より、念願かなって鍼灸専門学校の夜間部に通うことになりました。

原点に戻り、心新たに再スタートという気持ちです。

勿論、IMSIでの講師活動も、今まで以上に、心を込めて行っていきたいと思っています。

「学ぶ」のもずっとやめませんでしたが、「教える」ことも一度も途切れずずっと続けてきました。

手前味噌ですが、セラピー初心者の方への懇切丁寧な指導は日本一fujiではないかと自負しております。

また、セラピー上級者の方に対しては、どこまでも果てしないマニアックなトークや技をご披露いたします。

座右の銘は「粘~ギブアップ!」。

IMSIスタッフ内でのニックネームは「お地蔵さん」(似てる!?)

仏の心と、絶対に諦めない粘り強さで、これからも生徒さんの皆さまに対して、手厚いご指導をしていきたいと思います。

cherryblossomcherryblossomcherryblossom

これまで、長々とした私の自己紹介にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

これで自己紹介は終了ですが、次回より、セラピストの方や自然療法にご興味のある方に役立つ情報を定期的にお届けしたいと思います。

これからもどうぞお付き合いください。

どうぞよろしくお願いいたします。

冨野玲子

|

2009年4月 8日 (水)

■セラピストになるまで⑧ 「国際的な自然療法の総合学院となる」

渋谷で、アロマセラピーリフレクソロジーだけの小さな学校をやってきましたが、会社の経営方針の変更があり、表参道に引っ越すことになりました。

そして、スクールの名前を「IMSI The International Medical-Spa Institute」と改名し、国際的な自然療法の総合学院として、心新たに再スタートを切りました。

2002年のことです。

アメリカ・NYの「OHASHIATSU Institute」より先生をお呼びし、初めての国際セミナーを開催しました。

ロンドンの五つ星ホテルや中医学のクリニックで修行をして帰国した嵯峨さんもメンバーに加わりました。

Williamson 2004年には、スコットランドでプロサッカーチームのトレーナーも務めているスポーツアロマの権威、アンガス・ウィリアムソン先生をお呼びして、第二回国際セミナー「スポーツとアロマセラピー」を開催。

そして、同年、飯野さんが予てから交流のあったロネ ソレンセン先生を日本に招待して日本初の「フェイシャルリフレクソロジー」セミナーを開催しました。

IMSIの卒業生で、4人目の講師となる島村さんがメンバーに加わり、ディープティシューリンパドレナージュ、ホットストーンセラピー、ビューティフルフェイスオリエンタルヘッドマッサージ、クリームスパヘッドマッサージ経絡ハワイアンロミロミパワーストーン臼井式レイキetc・・・・数々のIMSI講座を皆で力を合わせて創り出しました。

現在でも、IMSIの全ての講座は、スタッフが一丸となって、愛情たっぷり込めてつくったものですよ。

そして、飯野さんの努力が実って、英国AoR認定校、西国IR認定校となり、更なる国際コースがスタート。

IMSIは、本物の自然療法の国際総合学院として飛躍していきました。

Photo その頃、私は「長女」の勧めもあり、自分の原点であるアジアの伝統療法をしっかりと学ぶためにタイに渡り、ハーブボールトリートメントを習得しました。

帰国後はタイハーブをスパのメニューとして使えるようにアレンジしたところ大好評で、IMSIでハーブボール講座を立ち上げる傍ら、様々なスパやサロンでの研修やメニュー増設のお手伝いを担当させて頂きました。

そうそう、現在では、IMSIにはタイ式、バリニーズ、ハワイアン、英国式、西国(スペイン)・・・色々なスタイルがありますが、全てスタッフが現地に行って、現地の人たちと一緒に生活しながら習得したものばかりなのですよ。

|

2009年4月 7日 (火)

■セラピストになるまで⑦「初めてのセラピスト、そして講師へ」

セラピストとしての最初の仕事は、兜町にあるカフェでした。

酸素バー付きのマッサージチェアの置いてあるカフェでしたが、更にリフレクソロジーチェアと個室のアロマルームを増設して、そこで働くセラピストを募集していたのです。

ここで、一人でリフレクソロジーアロマセラピーヘッドマッサージのサービスの立ち上げを行いました。

仕事はとても楽しく、お客様からも好評だったのですが、ある日会社の方針でこのカフェ自体が閉店することになってしまいました・・・。

新たな仕事を探そうと、同じイギリスのアロマスクールを卒業した先輩が働いている渋谷のアロマセラピーサロンに面接を受けに行きました。

そのサロンに行ってみて初めて知ったのですが、そこは英国ISPA(RQAと合併してIFPAとなったもうひとつの協会)認定校の併設サロンだったのです。

そこのオーナーに「イギリス留学経験がある人は珍しいので、その経験を生かしてスクール講師の仕事をしてみませんか?」と誘われました。

それが、現在のIMSIの前身の組織であるJNTCジャパンナチュラルセラピーカレッジです。

JNTCは1994年に神戸で設立された、日本のアロマスクールの中ではとても歴史のある学校で、日本初の英国ISPA認定校なのだそうです。

日本にいながらイギリスのアロマの資格が取れることも、その時初めて知りました。

大阪では既に卒業生を輩出していましたが、当時は東京校が開校したばかりの頃でした。

ここで、東京校唯一の専任講師だった飯野さんと初めて出会いました。

華やかな外見ながら、すごいプロ根性。

そして、これまでに出会った他の日本人セラピストとは比べ物にならない程のセラピーに対する情熱と探究心!!

「日本人でこういうスゴイ人がいたんだ!」と嬉しくなりました。

最初の仕事はテキストなどの教材作り。

そこから、だんだんと講師の仕事をするようになっていきました。

現在IFPAアロマセラピーディプロマコースは55期までありますが、私が講師をし始めたのは9期からです。

(歴史を感じます・・・)

飯野さんと二人三脚で、「アットホームだけれど、何処よりも高い技術と知識が学べる日本一のアロマとリフレクのスクール!」を目指して、試行錯誤の毎日でした。

|

2009年4月 6日 (月)

■セラピストになるまで⑥ 「イギリス・アロマセラピー留学時代」

005 私が留学した学校は、The Institute of Traditional Herbal Medicine and Aromatherapy(ITHMA)という学校です。

ロンドン中心部にある、花の咲き乱れるイギリスらしい公園の一角にあるRegent's Collegeでクラスは行われました。

校長のガブリエル モージェイ先生は、IFPAの前身であるRQA(Register of Aromatherapist)の会長で、東洋医学の専門家であり、エネルギッシュな人物。

「いったい、いつになったらアロマセラピーの話をするのだろう・・・」と思うほど、熱心に東洋医学の話をしてくれました。

陰陽五行説、気血水、五臓六腑、経絡、東洋医学の診断学など・・・。

学生時代にベトナムで聞きかじった東洋医学のことが、「そういうことだったのか!!」と腑に落ちるようになると、楽しくて楽しくて、夢中になって先生の話を聞きました。

アロマセラピーマッサージ実技は、ルースという女性の先生が担当でした。

この先生はアロマセラピストではなく、ボディワークのエキスパート。

解剖学に基づいたボディワークの基礎やセラピストのアライメント(姿勢)、ディープティシューなどのテクニックをしっかりと教えて頂きました。

後で、「他の学校ではアロマオイルを身体に塗りこむことが中心で、こんなにしっかりとテクニックは教えてもらえないところも多い」と知り、本当にラッキーだと思いました。

他にも、妊産婦のマッサージや経絡マッサージ、フラワーエッセンス、ブレンディングなど、様々なコースを受講しました。

まさに寝ても覚めても、24時間セラピー三昧の日々。楽しかった!

004 そうそう、IMSIで一緒に仕事をしている嵯峨さんは、この学校の同級生です。

一番の仲良しで、学校のない日も、いつも一緒。

ふたりでロンドン中の図書館を巡り、朝から晩まで缶詰になって勉強しました。

マッサージの交換セッションも、数え切れないほどやりました。

よく、「英語での授業は大変だったでしょ」と言われますが、私としては、自然療法を学べる喜びのほうが大きく、あまり「大変だった」という記憶はありません。

とはいえ、本を1ページ読むのに、医学英語辞典を引き引き、1時間くらいかかったりしていました。イギリス人が30分くらいで済む宿題も、丸一日かかったり・・・。ロールプレイングの授業では、チンプンカンプンで、泣きそうだったことも・・・。

でも、会社を辞めてまでして始めたアロマセラピーの勉強ですから、何があっても全てを前向きに捉え、前進あるのみupwardright

結局、自分で言うのもなんですが(笑)、ほぼ満点の成績で、最短の6ヶ月で卒業することが出来ました。

「あの泣きそうだった日本人生徒が・・・?」とガブリエル先生もビックリしていました。

一刻も早く日本でセラピストとして働きたかったので、帰国することにしました。

一方、嵯峨さんは、ロンドンに残って、ホテルのスパやクリニックで修業をすることになりました。

|

2009年4月 5日 (日)

■セラピストになるまで⑤ 「リフレクソロジーからセラピーの世界へ、そしてイギリス留学」

001 転機は突然訪れました。

お稽古を探すために雑誌を見ていると「リフレクソロジー」という言葉が目に飛び込んできたのです。

「香港で受けたことのあるReflexologyが、日本で学べるとは!!」と喜び、すぐに申し込みました。

(ちなみに、現在でもライフワークとして続けている「ゴスペル」も、この時期に始めました)

リフレクソロジースクールでは、イギリスで勉強してきたという先生から、初日にキッパリと言われました。

「これは足ではなく、人体です。人体のことを知らない人は、足を触る資格はありません」。

そして、「読んできてください!」と、解剖生理学と栄養学の書籍のリストが手渡されました。

しーん・・・と静まり返りました。

「なんだか、大変なところに来てしまったかも・・・」と思いましたが、同時にリフレクソロジーというセラピーの奥深さに感激しました。

解剖生理学と栄養学の本を買いあさり、休みの日はもちろん、通勤時間や会社の昼休みに必死に勉強しました。

この頃に培った知識は、今でも宝物です。

そして、70ケーススタディと試験を終え、スクールを卒業したときには、すっかり「人体」という「小宇宙」に魅せられ、「絶対にセラピストになろう!」と心に決めました。

私が「リフレクソロジストになる」と言った時の友人の反応は、

「えーー!?足裏??」「どうしちゃったの???」という感じでした。

まさにその昔、私が「ベトナム語を勉強する」と言った時と同じ反応・・・。

リフレクソロジーサロンがまだ全然一般的に知られていなかった時代ですから、無理もありません。

でも、迷いはありませんでした。

幼少の時から何となく考えていた「人の役に立ちたい」というのは、こういうことだったのだ!という確信がありました。

その後、

「ハーブのことをもっと学びたい!」

「フットだけではなくボディトリートメントを学びたい!」

と思い、アロマセラピーに興味を持ちました。

「折角アロマセラピーを勉強するなら、本場で・・・」と思っていた頃、母校の東京外国語大学同窓会の会報誌で「イギリスにアロマセラピー留学しています」という短信を発見!

すぐにその方と連絡を取り、学校を紹介して頂きました。

トントン拍子に話が進みました。

そして、お世話になった会社に辞表を出しました。

送別会で「私は自分の選んだ道で絶対成功します」みたいなことをスピーチしました(笑)。

会社を退職して、3日後にはもうロンドンにいました。

|

2009年4月 4日 (土)

■セラピストになるまで④ 「ホンダ時代は海外でスパ三昧」

010_2  大学卒業後は、得意のベトナム語を生かして自動車メーカーのホンダに就職しました。

ホンダ時代の上司や同僚たちには、社会人として大切なことをたくさん教えて頂きました。

今でもとても感謝しています。

ここでは、海外営業部に配属され、最初はアジア担当だったのですが、自ら志願してアフリカ担当になり、その後、ヨーロッパ、中南米を担当しました。

世界中の人たちとやりとりする毎日。

外国からお客さんが来日すれば、何処にでも連れて行きました。楽しかった!

ベトナムはもちろんのこと、インド、ガーナ、アイボリーコースト、モロッコ、チリ、アルゼンチン、アイルランド、フランス、イギリス、デンマーク、ノルウェー、チェコ、スロバキア、ポーランド、アメリカetc・・・・・25カ国くらい出張に行かせて頂きました。

003_21度の出張で、約1ヶ月かけて色々な国を回りました。

「何処でも寝れて、何でも食べられる」というバックパッカー時代に培った特技が大変役に立ちました。

それでも尚、暇さえあれば、海外に遊びに出かけていました(笑)。

海外に行くと、いつもスパやマッサージに行くのが楽しみでした。

タイの「ワットポー」でお坊さんからタイ古式マッサージを受けたり、香港でフットリフレクソロジーを受けた時は、あまりの心地良さに感激して、

「これは、どういう効果があるの?」

「これは何処で学べるの?」

と質問攻めにしてしまいました。

海外営業の仕事は、とっても楽しく、やりがいがありました。

でも、自分が使ったことのない工業機械や農機具などを、人に勧めて売るのにはちょっとした「後ろめたさ」も感じていました。

根が正直なので(笑)、「自分が本当に良いと思ったことを仕事に出来たら良いのにな・・・」と思い始めました。

|

2009年4月 3日 (金)

■セラピストになるまで③ 「絶対に病院にだけはいくな!」

011_2  私が1年間ベトナムに留学した頃に、外国人もガイドを雇わずに、自由に旅行することが可能になりました。

それで、ますますアクセルは加速。

しょっちゅう大学をお休みして、ベトナム中を旅行しました。

民家に泊まりながら、1週間かけてバイクでベトナム最南端の町まで行った時は、さすがにホストファミリーに仰天されました。

少数民族の村にも何度も行きました。

007 家に招待されると、必ず民族衣装の正装をして出かけ、出された食事は蛇だろうがカエルだろうが虫だろうが(!?)、何でもペロリと平らげました。

お酒の席に招待されれば、相手が酔いつぶれるまでお付き合いするのがベトナムの礼儀note

そんなウルルンな日々でしたが、ひとつだけ大きな問題がありました。

それは、ベトナムに行く前に、現地を良く知る人から言われていた言葉があるのです。

「現地で病気になっても、絶対に病院にだけは行くな!」

「万が一病院に運ばれても、注射は打たれるな!!」。

現地の病院は、衛生状態がとても悪く、病院で治療を受けながら、別の病気に感染してしまうことがあるそうなのです。

出発前に、私の掛かりつけのお医者さんが、「お餞別」として注射器をたくさん下さいました。

「現地で万が一注射をすることになったら注射器持参で病院に行くように」と・・・。

ホーチミン市のある病院で、お医者さんと看護師さんに日本語を教えるボランティアをするようになり、それが真実だということが分かりました。

病院の廊下や外にまで、「ゴザ」の上に重病人がたくさん雑魚寝状態で寝かされているのです。

とっても不衛生で、まるで野戦病院のようでした・・・。

*注)15年以上昔のことです。現在は、日本人医師が常駐している病院もありますので、これからベトナムに旅行に行こうとしている方はご安心ください*

「絶対に病気になるもんか!!」と強く心に誓いました。

その気持ちは、現地のベトナム人も同じのようでした。

だから、ベトナムでの生活は何よりも「健康第一」。

朝は早く起きて太極拳やバドミントンで汗を流し、食事はミント、シソ、どくたみ、コリアンダーなど、ハーブたっぷりでとってもヘルシー。

東洋医学の考え方が一般的にも普及しており、何事も「陰」と「陽」のバランスをとても重要視します。

家族の誰かが具合が悪くなると、カオヨー(ヘラで引っ掻く療法)、ヤッホイ(吸い玉)、マッサージなどの「民間療法」でケアします。

私も、現地で具合が悪くなると、何度となくホストファミリーから民間療法を受け、元気になりました。

こうして、ベトナムでは病気ひとつせず、結局持参した注射器は一度も使うことなく、全部人にあげてきました。

そればかりか、、「日本では具合が悪くなるとすぐに薬を飲んでいたけれども、実は、ベトナム人のように、自然な方法でケアしたほうが身体に良いのでは・・・?」と思い始めるようになりました。

後に、私の人生を大きく変えることになる、運命的な「自然療法との出会い」でした。

|

2009年4月 2日 (木)

■セラピストになるまで② 「初めてのベトナム旅行でスイッチが入る」

ベトナムに行く前は、

「地雷が埋まっている」とか

「戦争で墜落した飛行機の残骸がまだ落ちてる」とか、

「枯葉剤の影響で食べ物が汚染されている」など、

悪い情報しか聞いたことがありませんでした。

それが、

008 初めてのベトナム旅行の印象は、「昔にタイムスリップしたみたい!」。

天秤棒を担ぐ人、そしてたくさんの自転車。

エネルギッシュで生き生きとした人の笑顔が印象的。

それに、物価の安いことgood

食べ物の美味しいことdelicious!!!

「ここは、まるでパラダイスだsun」と思いました。

衝撃的だったのは、ダナンという港町で、男の子(後から、自分と同じくらいの年だと知ったのですが)がじーーーっと私を見て、

「あなたはロシア人ですか?」

と聞くのです。

冗談かと思って「違う」と言うと、

「それでは、フランス人ですか?」

と真面目な顔で聞くのです。

当時のベトナムはアメリカの経済制裁下にあり、政府も意図的に海外の情報をシャットアウトして、まるで鎖国のような状態でしたから、戦後生まれの若者は、外国人なんて見たこともなかったのです。

「テレビもねぇ、ラジオもねぇ・・・♪」という歌がありましたが、本当にそんな感じ。

外国人は自由旅行が出来ず、ベトナム政府から派遣されたガイド(という名の監視員)を雇って一緒に移動しなければならないという窮屈な状態でしたが、それでも私は「ベトナムって面白い!もっとこの国のことを知りたい!」と思うようになりました。

そして、とにかく

「自分の常識は世界の常識ではない」

「海外にはまだ自分の知らないことがたくさんある」

と思い、

「出来るだけ海外に出て世界を見よう!」

と決心しました。

頭の中で「カチッ」とスイッチが入り、そこから「グルグル」と音を立てて、自分の人生が急に加速して動き始めたような気がしました。

そして、晴れて、自称(!?)「バックパッカー」となりました。

日本にいる間はせっせとアルバイトに励み、お金が溜まったら1ヶ月単位で海外に出かけました。

006 そして、大学3年生の時には1年休学して、ベトナムのホーチミン市総合大学に留学しました。

|

2009年4月 1日 (水)

■セラピストになるまで① 「ベトナムとの出会いが全てのはじまり」

こんにちは。

冨野玲子と申します。

このたび、「とみろぐ」をリニューアルさせて頂きました。

セラピストの皆様や「自然療法に興味がある!」という方にお役に立てていただける情報を、定期的にお届けしていきたいと思っております。

cherryblossomcherryblossomcherryblossom

さて、私はIMSIで長年にわたって講師をしておりますので、これまでにIMSIにいらしたことがある方は

「習ったことがある」

「顔は見たことがある」

かもしれませんが、

ブログリニューアルにあたりまして、改めまして「自己紹介」と、セラピストになるまで、そしてこれまでのことを綴らせて頂きたいと思います。

ちょっと長くなりますので、数日間に渡って紹介させて頂きますが、お付き合いくださいね。           

cherryblossomcherryblossomcherryblossom

私は、神奈川県川崎市で生まれ育ちました。

小さい頃からとっても身体が弱く、一番古い記憶は「入院していた病院のベッドの中」。

小学校に入ってからも、すぐに熱を出すため、プールの授業はずっと見学でした。

「無理をして両親や祖父母に心配をかけてはいけない」という子供ながらの自制心により(?)、本当にのんびりとした子供時代でした(元々の性格だったのかな?)。

勉強もスポーツもまるでダメでしたが、子供の頃から、なんとなく、「人の役に立ちたい」とは思っておりました。

高校生になると、その思いはつのり、看護師を目指すようになりました。

でも、ある日事件が起きました。

一緒に遊んでいた友人が、突然てんかんの発作を起こして倒れたのです。

その光景にショックを受けてしまい、「私には医療の現場は無理!」と諦めてしまいました。

初めての「挫折」です。

同時に「人の役に立ちたい」という希望も、なんとなく忘れ去られてしまいました。

その後、進路を真剣に考えなくてはならなくなった時、特に「やりたいこと」はなかったのですが、とりあえず周りの皆がそうするから、大学受験をすることにしました。

実は第一志望の大学に合格できたのですが、入学手続きを進める途中で、「本当にこれで良かったのだろうか・・・」という迷いが生じてきました。

そして、「元々やりたいことなどなかったのだから、どうせ何かやるなら人のやらない珍しいことをやろう!」と決心し、東京外国語大学のベトナム語専攻に入学することになりました。

学校の先生や親戚はびっくり仰天です。

「えー!ベトナム???」「どうしちゃったのー???」と友人からは散々笑われました。

一番びっくりしたのは自分自身です。

それまで、ベトナムが何処にあるかさえ知らなかったのですから・・・。

大学に入ってからは、ロシア語とベトナム語しか話せないベトナム人の先生と一緒に発声練習の毎日。。。

そして放課後は先生のお宅に行って掃除や買い物など、身の回りのことを手伝ったり、ベトナム料理を習ったり。

周りの友人も皆ユニークな人ばかりで、楽しい毎日でした。

でも、やっぱり行ったこともない国の言葉を学ぶのには、熱が入りません。

それで、大学1年生の時に、ベトナム縦断の旅に出ることにしました。

それまでは、一家揃って海外旅行はおろか、飛行機すらも乗ったことがありませんでしたから、18歳での1ヶ月のベトナム旅行は、人生最大の決断でした。

「もう帰ってこないのでは?」と心配した母と祖母が成田まで見送りに来ました。

何だか、戦地に赴くような気分でベトナムに向かいました・・・。

それが、閉鎖的だった自分の扉を開く第一歩であり、また自然療法の世界へ踏み出す第一歩だとは、まだ気づいてはいませんでした。

つづく

|